プロフィール

はじめまして。

自己愛で運命を引き寄せるハピネスカウンセリング
心理カウンセラーLinoと申します。


誰かと比較し劣等感を感じてしまう方、

普通になりたい、

と今まで自分を否定されてきた方に、

自己愛を深めることで幸せへと導くカウンセリングを行っています。

これを読んでくださっている方とカウンセラーの相性がとても大切だと思うので、

私のことを知っていただきたいと思い書きましたので、

読んでいただけたらと思います。

Profile
4人家族、京都府で次女として生まれ、兵庫県で育つ

幼少期
人見知りがあり大人しい子供
ぼーっとしたところがあり、集団が苦手
周りのペースと合わない、母から強い否定
    
(中・高)学生時代 
自信がなく、友人関係が上手く築けない
大人数の会話に入れない 
緊張が酷く、自律神経失調症、対人恐怖症になる
高校生から心療内科に通う 
親のレールで進路を決める

大学生      
気疲れと服薬が合わず不安定
社会に出るようになり、人とさらに比べる
薬の服用でさらに劣等感を抱く
心理学部を卒業するがカウンセラーを諦める

20代~     
仕事が続かない
人間関係、言いたいことが言えない
友人関係、気をつかいすぎてしまう
自己犠牲的な人間関係を続ける

30代~     
ADHDの診断を受ける
仕事や結婚に焦りメンタルが不安定に
カウンセリングを受ける


現在 
自分としっかり向き合い環境を変える
潜在意識、脳科学を勉強し、カウンセリングを受けることで
18年服用していた薬を手放し、自分らしく生きている
人間関係がよくなり、自己肯定できるようになった
自分の生き方に自信を持つことができた
心理講座を受け、カウンセラーとして活動している
         
詳細では、幼少期から今まで、生きにくさを抱え、
対人恐怖、不安症、ADHD、HSPを経験した私が、どういう風に生きてきて、
今現在に至るのかを書いています。  

詳細↓  

母から否定され、苦しい子供時代

私は、両親と6つ上の姉の4人家族で育ちました。
大人しく内気で、周りとのペースが合わず、よくまわりを見てから行動するような子でした。

集団で行動することが苦手でぼーっとした子供でした。
幼稚園から小学校2年生ぐらいまでは、母が祖母の介護で遠方に行っていたので帰りが遅かったです。

姉も塾に行っていたので、一人の留守番が多く、悩みも言えずに一人で抱えていました。

習い事は、どれも苦痛で続かず、そんな私を母は周りの子たちと比較し不満げでした。

小学校の通知表に私のことを「大人しくて、優しい」と書かれていましたが、それをみても特にいい反応はなく、

母が期待している子と自分は違うとどこかでわかっており、

「優しいってだれでもできることでやっぱり自分ってたいしたことないんだ」

と当時の私は思いました。

母からの強い干渉に心は窮屈に

祖母が亡くなり、母は主婦だったので家にいる時間は増えましたが、遊んでもらうことはなく、私の行動をチェックするようになりました。

私は絵を書いたり、家で遊ぶのが好きな子供だったのですが、母はいつも外遊びを強要してきました。

家にいると「外に遊びに行きなさい」と言われ友達を誘うように言われました。

母の前で友達に電話をかけることもありましたが、友達がもう出かけてしまっていたので、
友達の少し年が離れた妹を誘うと情けなそうな顔をされたりしました。


このころから私は母の機嫌を損ねないように動いていたと思います。

誰と遊んでいるか、どんなTVの内容をみているか、どんな遊びをしているか、

母の機嫌を損ねると、冷ややかな目線を向けられるので、行動をチェックされている私は常に緊張がありました。

勉強ができないことで、母に泣かれる

家庭学習教材で勉強ができないことで、母に泣かれたこともありました。

私は母の涙を見たのが初めてで、勉強ができない自分に対しての情けなさに泣かれたことにショックでした。

あまりの緊張感で「わからない」ことを分からないということもできず、

黙っていても叱られる、苦痛の時間から逃れるため、夕食後の勉強の時間は隠れるようになりました。

居場所が見つからず、寂しい毎日

小学4年生になると、ガールスカウトに入りますが、そこで陰口を言われるいじめを受けます。
塾に通うようになりますが、勉強についていくことができず毎回腹痛になっていました。

1人で悩むことが増え、手を過剰に洗うことが増えました。

両親に悩みを伝えようと手紙を書きリビングの机の上に置いたこともありましたが、何の反応もありませんでした。

学校でも友人のグループから外され無視を受け、家でも外で遊ぶように言われるので、

私は我慢の限界を迎え、夏休み前に家出をしたこともありました。

心の中で「自分が居なくなったら誰が悲しんでくれるんだろう?」
という思いがありました。

周りと比べ、自信がなく自律神経もバランスを崩す

中学受験に落ち、地元の公立中学校に通います。

中学2年生になるとまたクラスメイトから無視されたり、笑われたりするようになります。

このころの私は緊張がひどく、クラスメイトに話しかけるにもすごく勇気のいる行動でした。

みんなが私のことを笑って馬鹿にしているような気がしました。

自律神経のバランスを崩し、汗をびっしょりかいたり、動悸がしたり、のぼせたり、学校に通うのもギリギリでした。

そういう状態でしたが、休みたいと言っても親に休ませてもらえませんでした。

ギリギリの精神状態で通っていたなか、
三者面談で「もっと自信をもったらいいのに」と先生から言われます。

自信はどうしたらもてるのだろう?と悩む日々

私は「どうしたら自信ってもてるのだろう?」

「みんなはなぜあんなに堂々と自信があるのだろう?」

と疑問を抱き、憂鬱な日常を過ごします。

ある日、母に精一杯の勇気をだして
「先生から自信がないって言われたのなんでだと思う?」と問います。


そうすると母は「参観日とか声が小さいし」と言いました。

私はちゃんと向き合ってくれていないような感情になり、もう母に相談するのはやめようと決めます。

夢への諦め、親の希望の進学の道へ

小さい頃、私はお菓子作り、料理が好きで、中学生になるとパティシエになりたいと思っていました。

料理の道は厳しいと両親に反対され、私は夢を簡単に諦めました。

高校生になり、自分は将来的にどうしても会社員になる想像ができませんでした。

大学へ行っても意味があるのかという疑問を抱いていました。

そして、手に職をつける、美容、デザイン等の専門学校に興味をもち資料請求しました。

ですが、母にせめて大学は行ってと泣かれてしまい、大学進学の道へ決めました。

大学は地元から離れ、暮らしたいと思っていました。

人との接触が怖い高校生活

高校生活はどんなに辛くても休まずに通いましたが、対人恐怖がどんどん悪化し、人とまともに目が合わせられなく、人と話すのが怖くなっていきました。

電車に乗っても人の視線が怖く感じました。

目の高さが合わないように、座席に座らず窓際に立つ、座りたいときは目をつむるなどしました。

自分では分からないぐらい笑顔が減り、反応が悪かったこともあり、男子生徒から脅かされることもありました。

日常的に笑顔がないことで、笑うと驚かれたこと、いつも下を向いて歩いていたので、挨拶に気づかなかったこともありました。

私の神経はすり減り限界が来たことで、

ようやく心療内科に連れて行ってもらうことができました。

心療内科で薬の治療が始まりました。

薬の副作用に苦しむ大学時代

大学では、もしかしたら自分のような経験をした人の力になれるかもと、心理学を専攻しました。

薬による安心感から人と関わることはできましたが、同時に副作用で悩むようになりました。

大学の授業中に薬の副作用であまりの睡魔で机に伏してしまい、先生から注意を受けたこともありました。

メンタル的にもアップダウンが激しく、どうして私はこんな思いをしないといけないんだろう?という思いを抱えていました。

メンタルが安定せずに大学の近くの心療内科に通いますが、その先生には、「友達には相談できないの?」と言われてしまいます。

その当時、見た目が派手だったこともあり、理解されないような空気感を感じました。

「なんで、ここにきているのかわからないん?」と怒りの感情がこみ上げ、とても辛く感じました。

本音が出せない友人関係、気持ちがしんどくなる

友人関係では気疲れがひどく、「行きたくない」や「しんどい」を言ってしまう嫌われるという思いがあり、行きたくない誘いも、ありがとうといって断らずに行く癖がつきました。

やっとできた友人を失うのは嫌で、自分が我慢すればいいと思っていました。

当時、付き合っていた彼氏からは、
「そんなに行きたくないなら断ればいいのに、ちょっとわがままぐらいでちょうどいいと思う」

と言われましたが「一度断ったら、多分二度と誘ってもらえない」と納得しない自分が居ました。

薬に囚われる苦しい毎日

当時付き合っていた彼氏から、大学卒業までに薬を飲むのをやめてほしいと言われました。

私自身、副作用からやめたい気持ちが強く、でもやめられずにいるなかでその言葉のプレッシャーで押しつぶされそうでした。

薬を飲んでいるから、「献血にも行けず社会の役にも立てない」、薬を飲んでいると、「だるい、太りやすい」といったことも気になり、漢方薬も試したりいろいろ頑張ってはみましたが、うまくいきませんでした。

自信がなく、自分の魅力も分からない私は、友人や彼氏によってかろうじて自信を保てていました。

彼氏の存在は、私にとって唯一気持ちを言える人だったので、「なんで気持ちをわかってくれないん?」と気持ちをぶつけていました。


ありのままの自分をわかってもらえず辛かったです。

その彼氏とは将来を考えていましたが、結果的に別れてしまいました。

劣等感を感じ、心を閉ざす


その後、飲み会で出会った方と食事に行きましたが、薬を出すとその後の対応が変わりました。

口調も上から目線になり、その後、誘われることはありませんでした。
私は、冷めた感情になり世の中にはいろんな人がいることを悟りました。

頑張っても、薬を飲んでいるという劣等感からはなかなか抜け出せませんでした。

自分を認められず、どうしたら嫌われないのか、取り繕うことに必死でした。

なかなか心を許せる人には出会えずに、辛い状況でも明るく振舞い、取り繕っていました。

世間体を気にし就職の道へ

メンタルの不安定さと大学院の進学や勉強の難しさがネックとなり、カウンセラーの道を諦めた私は、今後の人生プランが分からなくなっていました。

ただ、どこかに就職できればいいとだけ考えていました。

就職説明会も取れないほどの就職氷河期だったこともあり、自分にはそこに受かる能力はないと考えたので、就職活動を諦め、当時働いていたアルバイト先から正社員として働くことにしました。

このころは毎日出勤前にお腹がいたくなって、始発に近いバスで1時間トイレにこもってから、行っていました。

気を付けていても制服の洗濯のたびに名札を忘れ、反省書を書いたこともありました。

デパ地下の売り場の行動範囲、ミスが許されない緊張感、売り場で押しのけられるパワハラ、等に耐えられず、3か月で仕事をやめてしまいました。

親の希望の道へ進む、無気力な毎日

辞めてから親に専門学校へ行かせてほしいとお願いしました。

私は、「美容の専門学校に行きたい」と昔から行きたかった専門学校への道を母に相談しました。

そこは、とても魅力的でエステやネイルやいろいろ学べる学校でしたが、母に「東京は辞めて」と泣かれ却下されてしまいます。

私は、とりあえず手に職がつけられそうなところで、家から通える範囲の専門学校でデザインを学ぶことにします。

最初はわくわくしていましたが、雑貨作りの時間以外のPC操作が苦痛で、頭痛やドライアイに悩まされ、頭痛薬も利かなくなり、辞めてしまいます。

これからの方向性が定まらず、メンタルも不安定で家にこもる日々が1年ほど続きます。

心療内科の先生の言葉にショックを受ける

心療内科では「発達障害の可能性がある、社会に適応しにくい」などと言われましたが、それを家族に言うと「発達障害なんかじゃない」といわれました。

社会に適応しにくいといわれたことがショックで、それ以外先生から何を言われたのか覚えていません。

発達障害については当時はほとんど理解がなく、私は言われたことを忘れることにしました。

このころ、人の目が気になりスーパーへも出歩くことが難しくなっていました。

家族で車で出かけた時も1人で車の中で待っているほどでした。

別の心療内科を探したりしましたが、これまでと変わらず、

「さなぎの冬眠の時期だから、ただ待つように」
と言われ将来への不安、焦りがつのるだけでした。

将来への不安と働く恐怖と周りからの目が気になる日々

友人からの連絡も経ちSNSもほとんどみませんでした。

そんな日々を過ごし専門学校を辞めて1年経とうとしているところ

姉から「いつまで親に甘えているん?」と言われて喧嘩になります。

私のメンタルは不安定で、家族以外の人とまともに話していなかったので、働くのが怖い気持ちでいっぱいでした。

ですがいろいろ言われ続ける方が嫌だったので、働くことにしました。

勢いだけで急に働くことを決め怖いがとりあえず働く

気が付けば20代半ばになっていた私は、恋愛も充実感も何もなく、おしゃれから遠ざかっていました。

何もやりたいこともなかったので、ただ勢いだけで、華やかに見えるアパレル店員の仕事につくことにしました。

アパレルは厳しいと聞いていたので内心びくびくしていましたが、今チャレンジしないと一生できないと想い、そこで働くことにしました。

今まで仕事をしていなかったのが、急にフルで働くことになり、頭も体力もついていきませんでした。

薬が効きすぎ、眠気やだるさと戦っていました。


ケアレスミスが多く、理解も人より時間がかかり、普通ではないかも・・と思う

「1回言ったことは1回で覚えて」と言われましたが、私はメモをとってもメモをなくして、もう1回聞いたりしていたので、先輩からのあたりはきつかったです。

閉店後から朝になり、服を店頭に並べてかけていく作業で、私はよく服の位置を間違えてかけてしまっていました。

1つミスをすると5個それについての反省を休憩時間に書かされるので、私の休憩時間はいつも短かったです。
精神的なストレスと疲労でとにかくミスをしないようにだけ考えていました。

ミスをしないようにと思えば思うほど、ミスは増え休憩時間も短くなっていました。

電車の乗り換えミスや寝過ごしをすることが多くなり、帰りが遅くなりました。

電車のなかで日報を送っていると、起きているのに乗り過ごしをしてしまうことが多々あり、

自分が情けなく思えました。

強烈なパワハラでギリギリの毎日

セールで忙しさがピークに来ているときに、愛犬が弱っていて、愛犬の心配事と仕事のストレスと疲労で帯状疱疹がでました。

その後、店長が変わり少し働きやすく、帯状疱疹から早番に考慮してもらえました。

早番に考慮してもらえたことで、私のことをよく思っていないスタッフから、二人の時によく罵声を浴びせられるようになりました。

人権侵害のようなことも言われたこともありました。

その後、会社の営業担当の方とミーティングが行われ、パワハラをしてきたスタッフから謝ってもらうことができました。

納得できないこともありましたが、
自分の能力が及んでいないから、言われてもしょうがないんだと思いました。

自虐ネタで辛い友人関係を築く20代

仕事もそうですが、友人関係でも私は人より劣っている意識が強く、私が必要とされるのはなんだろう?と思い、気づけば自虐に走っていました。

いつも自分に起こった不幸話など、したくもないのにして場を盛り上げてしまっていました。

仕事も恋愛もいつも上手くいかず、マウントをとられて、もやもやしていました。

いつも転職を繰り返したり、恋愛も彼氏優先になり、友人関係も上手くいかず、家族とも調和がとれていなかったので、私の自己肯定感はとても低かったです。

上手くいっている友人に合わせようとしても、話についていけず疎外感がありました。

友人にありのままの私を受け入れてもらえるとは思わず、ありのままの自分を出すことは、出来ませんでした。

「なぜ私は普通に生きれないんだろう?」と誰にも言えない悩みを抱えていました。

生きるのが辛く先の見えない日々、そして久々の友人の結婚報告、最近の近状を聞かれるのが嫌で友達と会うのが億劫になり、連絡を絶つほどでした。

周りから取り残されるように感じる30代

30代になると、仕事も恋愛も上手くいかず、本格的にどう生きていったらいいのかが
分からなくなっていました。

友人は、結婚し子供が生まれたり、仕事が順調に進んでいました。
私の周りには、私ほど、転職を繰り返す友人はいなかったので、仕事を聞かれても、なんとなく
うやむやにしていました。

友人達には、分かってもらえないと思い、悩んでることは言えませんでした。

そして、転職を繰り返し、何も進まず停滞しているように感じる自分を、友人たちと比較しては
よく落ち込んでいました。

転職を繰り返すことで恋愛もできない状態になっていました。

ここままだとどうなるんだろう?と焦りや不安がいっぱいになり、眠れない日もありました。

どん底から自分の人生と向き合いカウンセリングを受ける

仕事を転々とする中で疲弊していき、自分責めが止まりませんでした。

同じ時期に私は、大切な親友を亡くしてしまいました。

後悔と自責思考が止まらず、世間と自分が切り離されたような孤独感がありました。

自分がしたいこともわからなく、本当にどう生きていったらいいのかがわかりませんでした。

私は人生を見つめなおし、潜在意識、脳科学、量子力学を本やyoutubeで勉強し、
カウンセリングを受け心理療法も学びました。

カウンセリングを受けたことで、客観的に初めて自分を見ることができ、
考え方の癖がわかってきました。

カウンセリングを受けたことで、新たな視点に気づき、人間関係が楽になりました。

カウンセリングで学んだ方法を実践することで、相手との境界線をしっかりひくとことができ、対等な人間関係を気付けられるようになりました。

そして、自分を大切にでき、自信がついてきました。
自信のつけ方、自己愛を深めることを学び、今の自分をありのまま受け止められ、自分が好きになってきました。

そして、自分軸がしっかりしていき、自分で物事の判断ができるようになりました。

イメージワークでは、潜在意識を活用しやすくなり、理想の未来が描きやすくなりました。

カウンセラーとしての活動

一度諦めたカウンセラーの道でしたが、自分が生きやすくなったことで、
過去の同じような経験をした方の力になりたいと思い、カウンセラーになりました。

現在、HSP、ADHD、対人恐怖、不安症の方、人と比べで劣等感を感じてしまう方に、
自己愛で幸せな日常を送るためのカウンセリングをしています。

過去の私のように、こうでなければ生きている価値がないと思われている方もおられるかもしれません。こうでなければいけないと思い込んでいたことは、時代とともに変わるし、

自分がコンプレックスだと思っていることも、違う人から見れば魅力的に見えることもあります。

いままで世間体を気にして生きてきたり、誰かの顔色を伺い自分の生きたい道に行けずに、苦しい思いをした方も、自分に合った楽な生き方があるはずです。

まずは、お話しすることで客観的に自分自身を見ることができ、思考に気づきやすくなります。
1人だと時間がかかりますが、一緒だと進みやすくなります。

ありのままの自分を愛することで、本当の自分の幸せを感じてみませんか?